nixie watch(ニキシー管腕時計)購入しました






年末にアメリカから購入していたnixie watchが先日届きました。
(写真は久しぶりのブツ撮りw)

昔々液晶やLEDがなかった時代、ニキシー管と呼ばれるガラス製の真空管のようなモジュール(?)が、デジタル表示に使われていました。一時期は駅の券売機やピンボールなど、アーケードゲームの得点表示なんかにも使われていたようですが、デバイスの小型化が求められ、今ではすっかり使われなくなったようです。

そんな時代錯誤なニキシー管を腕時計にしよう、という試みがある一人のギークの手によって実現されました。Cathode Cornerというサイトを運営するDavidさんがそのギーク。ちょうど5、6年前くらいに商品化され、一部のガジェットマニアの間でかなりの話題になりました(Engadgetやギズモードでも取り上げられましたね。)。

ずっと僕も気になっていたのですが、

(1)Cathode Cornerの中の人が一人で作っている
(2)よってお国内代理店がない
(3)販売はPayPalを通して直接中の人ととやり取りしなければならない

というようになかなかハードルが高く、購入までは至りませんでした。しかし昨年の年末、もう25歳・社会人だし一人前な時計が必要だ! ということで、不安の中注文してみました。

結論から言って、中の人に連絡したところすぐに返事を頂き、スムーズに商品を発送→到着となりました。そして実際の商品を手にしたわけですけど、ハンドメイドの腕時計がこんなにいいものかと驚愕しております。内部構造の緻密さはもちろんのこと、筐体のアルミ合金の造り、ベルトのつけ心地にいたるまで隅々まで使う人のことを考えぬかれた設計なんです。

使い方も、傾けることで時間が表示されるのですが、ユーザーの任意の傾きをプログラムできて、ちょっとなれると違和感なく時間が表示されるようになります。ここらへんの傾きのプログラムも誤作動がないような形にカスタマイズされていて、職人魂を感じます。 (傾きの様子は左動画を参照。時間→分→秒と表示されます)

あのアップルの創始者の一人、スティーブ・ウォズニアック氏もこの時計を愛用していたりと、密かに有名な時計だったりします。気になる方はぜひオフィシャルサイトから詳細を御覧ください。ほんとにいい時計ですよ〜。

[Nixie Watch by Cathode Corner]

撮影データ:Nikon D3・AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G
動画データ:iPhone 4S

 

AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G

 

 

 

これぞニコンの集大成! 至高のレンズ「AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G」を手に入れました…






清水の舞台から飛び降りました。

レンズ設計に余裕があり、かつ歪みも一番出にくい焦点距離である85mmレンズ。そういった条件からかキヤノンのCanon EF 85mm f/1.2 L II USMやPlanar-T*1.4/85など上げていくといわゆる銘玉ぞろいなのですが、あのニコンが満を持して送る85mmレンズ「AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G」を手に入れちゃいました

「AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G」はニコンが去年の10月に数十年ぶりにリニューアルしたレンズ。レンズ設計を一から見直し、9群10枚のレンズ構成にナノクリスタルコート※1 、超音波モーターSWMを搭載。さらに絞りリングをなくしたGタイプになって近代的に生まれ変わったレンズになっています。

ま、こう興奮気味にスペック厨してますが、実際のところ迷ってました。つい先日シグマからもニコンの約半額の値段で、匹敵する性能をもつ「SIGMA 85mm F1.4 EX DG HSM」が出ていたからです。ネットで色々なレビューを見たのですが、大きく大体のところでいうと「各社の85mm 1.4の描写は拮抗していて、どのレンズもそれなりの特徴があって甲乙つけがたい」という印象。ただそのなかで同じくらいの性能をもつにも関わらず、約半額のシグマは非常に魅力的だったのです。

それからというもの暇さえあればレンズ情報をあさる日々が続いていたのですが、「結局のところ触らないとわからない!」ということになり、シグマとニコンの85mmを両方触ってみることにしたのです

結論から言うとニコンになったわけですけど、シグマの気に入らないところがすごい目についてしまったんですよね。たとえば逆光性能だとか、異様にパープルフリンジが出てしまうとか、鏡筒の完成度とか…。やっぱりニコンが本気になって作りこんだレンズとは比較しないほうがよかったですね…、まんまと帰りにはニコンを持って帰ることになってました。ズッポリニコン厨\(^o^)/

ということで長くなったのでこの辺で。そのうちいいのが撮れたらまた作例を載せますねー。



 

盲目は写真を変質させるのか






趣味のブログにありがちなのが料理の写真とペットの写真。

だいたいこの2つが日本のブログには溢れかえっていて、大抵の場合たいして差異がなく、個人ブログというものを凡庸なものにさせているわけです。じゃあなんで僕はこうしてペットであるイグアナの写真を掲載しようとしているのか? 今まさにペットの写真をブログに掲載している僕がこういう事をいうのは明らかな矛盾です。だってペット写真なんかつまんねーぞ! っていいながらそれを掲載するわけですから。そこをあえて載せる魂胆はいったいなんだと思います?

理由は…、特にありません! 強いて言えば、ペットを飼うことで盲目になっている人間が、全力で私的ブログというカテゴリをとことん凡庸なものにしようとしてるくらいでしょうか。ははは。

ということで、前置きが長くなりましたが愛する我が家のイグアナの写真を掲載させていただきます。ビデオなんかとっちゃったりしてどんだけ好きなんだよ自分(全力で笑顔なう)




 

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今年は本当に暑かったですね。

つい先日、気温18度を記録したわけですけど12月ですよ、今。個人的に冬は日の光がすごく身に染みて感じるので2011年の1月・2月はもうすこし寒くなって「冬らしく」なって欲しいです。

取りも直さず、写真撮るってのは光を感じる事から始まるので、温度の変化は光の変化に直結します。なので、光の変化を感じることが出来る季節の変わり目とか、冬場の空気感を楽しみたいところです。どんなにデジタル時代になっても写真ってのは「光を描く」ものなので、それはとても重要なこと。地球が自転して太陽の周りをぐるぐる…朝になったり昼になったり我々の生活は常に光と共にあるわけですからね。

…ただ光ばっかり見てると忘れがちになるのが「影」の存在。光が存在できるのは影があるからであって、光で描く写真ってのはイコール「影で描いている」わけですよ。写真撮る人は影と光の魔術師といっても良くて、いい写真家はそれがうまい(いい写真家っていう言い方もあまりしたくないけど…ある種の、という意味)。具体的には彼らは光と影の間の間、そのまた間を描ける才能こそが写真家の力量といってもいいでしょう。(あんまり関係ないけど、写真家ってShadowとShadeって明確に使い分けるんですよね)

先日ツレに大好きな写真家の写真集をもらいました。セバスチャン・サルガドの写真集ですが、やっぱ彼の写真はいいですね。白黒でもミッドトーンの演出がうまい。森山大道みたいな力強い、線の太い白黒写真もすきだけど、ミッドトーンがすばらしいサルガドも好きです。

というわけで、光について思索を巡らせている今日このごろでした。といっても、あまりにも軽薄な知識しかないので、最近はライティングも絶賛勉強中。精進せなあかんね

 

背中
 

スーパー

振り返る、という事について






今年ももうすぐ終わりです。

終わっちゃうのかぁと思うと、振り返らなきゃっていう意識が働いてしまうものですよね。これは小さい頃からテレビや何やらで年末になると「年末特集」と称する、中の人が休むための「言い訳」をあたかも風物詩のように長年刷り込まれてきたから(無論休むことはいい事)であって、その年を振り返るという行為には別段何かある訳じゃなかったりします。そもそも振り返ることの意味無意味を問うこと自体が破綻してたりするんですが…。

で、振り返るって事を何につなげたいかというと、写真です。写真っていうのはフィルムに、映像素子に光が到着した瞬間に過去になっているので、写真を撮り続ける(=自分の写真を現像して見る)という事は無限ループで過去を振り返り続けるということになる。

ここで小説や映画も同じ様に考えてみると、確かにそれ自体は過去を振り返るものだとしても、両者の内部には時間軸が存在する。文章を読む、フレームが映し出された瞬間に寒天がにゅるっとでてくるように、文章は次の文章にかかり、フレームは次のフレームに永続的に生成変化していく。そして、未知のフレームはリールが回り続ける時間内部において未来であるわけなんですよ。

写真はそういう意味では常に生きるもの、時間可能性を分断し、写真の内部において未来に対して非常にネガティブな作用をもたらす。現前では生きているものを収めつつ、死の刻印を刻み込むからだ。

常に写真を撮るということには亡霊が付きまとう。それは時間軸の不在が、連続性を断絶し、アーカイブや、写真が生成されるその瞬間さえも、つねに過去への遡行可能性しか持たない事に起因する。

ということで、次回の講義は、写真の時間的可能性についてです。アーカイヴについて考えておく様に。ゴホンッ。


 

ガラ
 

ステンドグラス






(被写体ブレ&ピンがちょっと甘いけど勘弁)

クリックして拡大してみて頂きたいんですが、じっと見てるとイグアナのウロコがステンドグラスみたいに見えてくるんですよ。 イグアナ大好きな僕の目から見ているので多少の色眼鏡はありますけど、ウロコの一枚一枚がちゃんとそれぞれ違う色をもっていて案外キレイ。しかもそれぞれのウロコ自体でも大きさや色味が変わってくるんですねー。なんとも不思議。

ま、人間だって角質レベルでみたら、それぞれ違うかたちの物体から成り立ってるんだけどね。不思議なもんで「肌」という言語化された概念によって肌というヌルッとしたものになってしまうんですわ。

ガラ(写真のイグアナ)は今年で3歳。ちょうどアダルトイグアナへの過渡期です。この時期を超えると個体差が広がって、個性的なルックスになっていくんですよね。毎日の成長が非常に楽しみな今日この頃でした。

 

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イグアナ観察記 2/27






雨にもマケズ、冬の寒さにもマケズ、小松菜とチンゲン菜を食べ、いつも静かに脱皮する…。

このブログの最初を飾ったイグアナ「ガラ」でございます。もう我が家に来て2、3年経ちますが相変わらず元気に過ごしています。最初は手の中に収まるほどの大きさだったのが今や全長1m超えですからね。自然界すげぇ。

熱帯気候の動物ですから冬は苦手。時たまお風呂に入れて体を温めてあげます。(うんちもその時します)

んで、こちらは湯上りショット。心なしかさっぱりしてるように見えます。



 

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今年は雪が多いねぇ。






東京も雪がふるもんなんですねぇ。

まだ東京にくる前は、東京は雪なんてめったにふらないものだっとおもってました。全世界的な気候の変化ってのもあるんですが、ここ最近のグズついた天気にちょっと身体がこたえてます。

気圧やらなにやらが身体に及ぼす影響ってばかにならないもんです。ひとによって身体にどんな感じで出てくるのかは違うとおもいますが、自分の場合は特に肌の表面にでます。夏は汗疹、冬は乾燥。こうかんがえると一年中なにかしらのかゆみを抱えてんなぁw

で、この写真。夜から本格的に降り出した雪をD3+50mm 1.4fで撮りました。雪ってアンダーで撮るとすごーく汚い色になるんですよね。なのでちょっと露出をオーバーめにとってみました。D3だからこれだけノイズはのらないですんだけど、高感度に弱いカメラなら瀕死だっただろうに。

しかもRAWからほとんどいじってません。もうね、もともとそこまで綺麗にとれたわけじゃないから、光量落ちとかわざわざのこしてます。これが吉と出てるのかよくわかりませんが、そもそもあまり綺麗じゃない東京の雪なんで、セピア的な色がそれっぽさを現しているのかなと。

さて、だんだんと暖かくなってきている今日この頃ですが、きっと春には桜を撮ってるんだろうなぁ。

凡庸だなぁ。平和だなァ。



 

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巣鴨






「The face is not a universal.」

顔というものはそもそも記号化されない触発のなかに存在する肉片の集合だ。そう捉えると、写真はすごく恐ろい存在ともいえる。なぜなら、素子に焼きるけることで、一瞬のうちに開かれた可能性を閉じ込めてしまうからだ。

写真を撮るのは、フレームに焼き付けることで流動性を固定化する行為でもある。ということは、ある種の閉じた空間にならざる得ない。まぁ、でもこれ一般的な考えですよね。だって物理的に考えてみれば空間が物体に変わっているわけだから、それは強制的に閉ちゃうわけですよ。

じゃあ、それを開かれたものにするにはどうするか? っていうのが問題になってくるワケです。空間が開かれたものであるなら、本来それをそのまま表現する(していると見せかける)写真も開かれていた方が自然です。そこで、写真家は様々な工夫をこらすわけですよ、あえてファインダーを覗かないとか、展示方法に工夫をこらすとか、むしろ動画にしちゃうとか、文章を添えてあるコンテクストの中で写真を読ませるとかね。

僕が思うに、そこに「写真家」ってのの本質がでてくるんじゃないっすかね。機材で言えば全近代的に、アマチュアと職人・プロの差が肉薄していっている今、プロがアマチュアと差を見せるには、そういう意味で、写真を如何に開かれたものにするという部分にも重点があるとおもうんですよね。

さて、個人的なはなし。

写真を開かれたものにするために、僕は「顔」を意識しています。顔は形成されるのであるから、その解体の可能性もある。そう考えた顔って魅力ありますよね。シャッターを切る次の瞬間にはその顔は崩壊しているんですから。

「The face is not a universal」

うーむ。




 

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2010年、新年のご挨拶






さてさて、大変遅くなってしまいましたが新年明けましておめでとうございます。

すっかり仕事もはじまってしまって、カメラを触る機会が減ってしまうのがとても残念でしょうがありません。新年の頃はちょっと時間があったもので、めちゃくちゃ写真をとることができました。いやぁ、今からするとあの時期は最高だったなぁ…。

と、感慨に浸りつつ、2010年始まっていくつか撮ったものを御開帳します。

D3、すこぶる快適です。こういうのが撮りたいって思うと彼は答えてくれます。シャッターのフィーリングも完璧。だから撮影者は完全に構図やシャッターチャンスに注力できる。素晴らしいカメラですね。

ただ、スローシャッターっていう意味からはちょっと離れているのも事実。せっかくなので、古いMFのNikkorレンズでも試しに買ってみるのも今一歩腕を上げるには必要なことかもしれません。

ニコンって長年報道の分野で重宝されてきたことが示すように、とっさのレリーズにすごく強いんですよね。D3をはじめとする近代ニコンフラグシップ機でスローシャッターっていうのは本質的な意味で、ちょっと違うのかもなぁとも思いますが、スローシャッターの重要さは感じています。

スローシャッターを本気でやるとなると、どういう選択肢があるでしょうね? やっぱMFの銀塩でしょうか。

銀塩といえば、HDDの整理してたら銀塩で撮ったデータがでてきました(それも近々アップ予定)。借り物のpentax kmという機種だったのですがかなり新鮮でした。フルサイズ機がすげぇっていっても銀塩のそれとはまた違った種類のもの。なんか使い分けとして銀塩もありだな、っておもった2010年年初めでした。

それでは、めちゃくちゃ遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。




 

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すべてNikon D3 + Ai AF Nikkor 35mm F2D。Jpg撮って出し。
 

フルサイズ機のファインダー






Nikon D3になって、最初戸惑ったのはファインダーの広さです。

自分は四隅まで隅々まで確認してからシャッターを押すタイプの人間なんですが、APS-Cサイズ機からするとフルサイズ機D3のファインダーはだだっ広い。ちょうど例えるならネットブックしか使ったことのないユーザーが24inchのiMacを目の前にしている感じ。1Kのユニットバスと実家の風呂的なちがい。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。

まぁ今はその大きさにも慣れてきていて、むしろ大きい方が細部までチェックできる(自分の視力の良さも関係しているかも?)ので大きいファンダーが最高だとおもってます。やっぱり、ファインダーの作りって重要。

ファインダーと言えば、ハッセルの中判ファインダーを初めて覗いた日が思い浮かびます。あのファインダーは、一種の映画、劇場をみている感覚に近いですよ。しかも古き良きフィルム映画の。また6×6の正方形っていうのがニクイんですよね。あー、中判欲しいな。

って僕にはあと数十年は立たないとそういうファインダーを持つカメラなんて、この手にすることはできません。予算的に。絶対。

あ、ファインダーの話で思い出す最近の機種がありました。ソニーのフラグシップ α900。あのファインダーは視野率100パーセントはもちろん、明るさ、見やすさなどなどファインダーに求められるべきものはすべて詰め込まれていると思います。僕も電気屋さんでしかみてませんが、ファインダーをのぞいた瞬間、ハッセルに近い衝撃がありました。
デジタルの時代にあんな機種がでるなんて、いい時代に生きてるなぁ俺。生きててよかった。

なんて、安易な感傷にひたってますが、話をD3に戻すとしましょう。まぁ、なんだかんだ言ってD3のファインダーにはかなり満足です。カメラとしての全体的な性能をもとめるならば、ファインダーだけにフィーチャーしてもその他がだめだと撮影も楽しくならないですからね。

D3はふとしたときに触りたくなる不思議な魔力があります。それはきっとファインダーであり、シャッターであり、ダイヤルであり、液晶であり、グリップなどすべてのファクターが重なってのものだと思います。

こうファインダーについていろいろ書きましたが、実際には僕なんかの若造は触れたことのあるカメラなんて非常にすくないので、一概にD3最高! とはいえません。だからこそ、Nikonのフラグシップ機を選んだ理由も少なからずあるわけです。だってハイエンド機のD700触って、ニコンはあーだこーだいうのもなんかなぁーって笑。どうせやるならフラグシップ触らないとって笑

そう意味ではキヤノンのEOS 1Dを所有してみたいですよね。カメラ界の二大政党のフラグシップ機は触っておきたいんですよ。それであーだこーだ言いたい笑

さてさて、ファインダー雑感を思うままにつぶやいてみたわけですが、今週末もD3で街に繰り出す予定なので、もし載せれるようならブログにもアップしますねー。お楽しみに!

ではでは。

 

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Nikon D3 AF-S 35mm f2D + SB600

メリー・クリスマス






と、年甲斐にないことをいってみました。

去年、2009年12月25日はちゃんとケーキを作ってつれと二人でパーティーをしました。けっこう日付はたってしまいましたが、一応書いておきます。

そうそう、実はですね、Nikonのフラグシップ機のD3を年末に購入しまして、こちらはその最初の頃のショットです。今までずっとD90を使ってきて念願のFXフォーマットへ移行することができたわけですが、この写真で驚いたことはフラッシュの光の回り具合がD90のそれに比べて格段に優れているということが分かりました。

フラッシュの光の回り具合なんて、良く考えてみればグレードにあわせて差異化させる必要なんてないと思うんですが、D90とは比べられないくらいいい感じにD3は回り込みます。

Nikonって製品ラインナップが見事なヒエラルキーになっていて、それぞれ触ると面白いぐらいに違いが見えて良くも悪くもいろいろな部分がみえます。Canonはそのぶん中心のミドルクラス、現行でいえば5D markIIから上と下へと機能を増減するので、またそういう意味でイデオロギー敵に全く変わってくるので、両者のラインナップの話も結構もりあがるんですよね。(これは年末うちの会社のカメラ好きとの会話でも話しました。)

PS. D3買ってしまって外付けフラッシュ買うお金がない時に快くSB-600を貸してくれたギズ武者さんに感謝!